佐藤厚志さんは、芥川賞を受賞した前作『荒地の家族』以来のファンで、次の作品を心待ちにしてたのでした。宮城の新聞「河北新報」に連載されたもので、小学3年生の男の子を主人公にした日常の物語です。
令和のいまになって「団地」というのもなんか時代が合っていない気がするわけですが、ここで団地というのは、「みな同じような生活をしている」ことの暗喩だと思います。この作品では、ある家庭に生じた出来事が、他の家庭でも同じように起こっている、ということが何度も描かれます。たとえば、ある友達が「うち父ちゃんいないから」と話すと、別の友人が自分も同じだと言い、また主人公が父親にひどく殴られた後に、別の部屋に暮らす友人の母が父(=夫)に殴られて救急車が来ます。どんな不幸も自分だけのものではない、ということが強調される仕組みになっています。
世界は不条理で生きることはつらく苦しい、でもそれは自分だけのことではない、という突き放した態度は前作『荒地の家族』から通底するテーマだと思います。要するに、佐藤作品は徹底して自己憐憫(=私ばかりこんな目にあってかわいそう!)を拒否するわけです。これは(あえて口の悪い言い方をしますが、)自分が被害者だ、自分は傷ついているんだ、配慮されるべきだ、というアピール合戦をしているような現代社会に対する痛烈な批判だと思います。自分ばっかり不幸だと思い、他人の不幸を顧みない、その利己性と傲慢さを否定するわけです。
そして、そのようなテーマであるからこそ、物語の途中で主人公が捨て犬に対し、もし自分が同じ目にあったらどんな思いを味わうだろう、と共感するシーンがめちゃくちゃ輝きます。もちろん捨て犬は救われず、その一件さえ「ありふれた不幸」に回収されるわけですが。世界は優しくない。徹底して厳しく苦しい世界の中で、そのつらさを逃れる、あるいは安易に慰める道を提供するのではなく、そのつらさはどんなものなのかを、あくまで公平に見つめる視点を示そうとするのが、佐藤作品の面白さだと考えています。
引き続き、応援していこうと思います!
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