【小説感想】遠野遥「AU」

2024年12月8日日曜日

 遠野遥さんの短編が掲載されていると知って、『群像』2024年夏号を購入しました。短編一本のために文芸誌を買うのは初めてです。でも僕は遠野遥さんが現代文学における「推し」なのでこれはもう仕方のないことです。新作「AU」、とても遠野さんらしい筆致と物語でした。

 遠野遥さんの小説について少し書きます。頻繁に描かれるのが、「優しい言葉やふるまいについてよく理解しているのだけど、内心では優しさをもたず、そしてそのことによる精神的な孤立に自分自身が傷ついているのだけれど、それを自覚できずに自壊していく」人間です。その姿が僕に刺さります。

 こういう人物像は、僕がいまの若者に、友人に、あるいは妻に、そして自分自身に見出す姿です。それはみんな同じ問題を抱えているということでは「なく」、僕がそういうフレームで人間性を捉えている、ということでしょう。その意味において、遠野遥さんは僕にとって大切な作家です。

 今回の新作「AU」でも、主人公は、目の前の女性が、能登半島地震の被災者のことを考えるといたたまれない…と真剣に話すのを聞いて、その感情を全く共有せずに、「寄付しようか」と合理的な解決策を提示し、かつ内心で、でも自分は他の人より所得税払ってるよな、と考えます。その姿が実に悲しい。

 でもただ冷たい人が描かれるのではありません。そのやりとりの後に「能登にも雨が降っているだろうか、寒いだろうか」という主人公の一瞬の内省が挟まれるのです(178頁)。でもその共感の種は、目の前のことに集中すべきだという合理的な意志によりすぐに切り捨てられてしまう。本当に悲しい。

 そして、僕たちはまさしく、こんなふうに生きてるよな、と思うのです。多様性への配慮と、開かれたコミュ力と、政治的に正しい言葉を身につけて、そして内面の逡巡をコスパが悪いと切り捨てていくのが、ほんとうに望ましい人間の在り方なのか?…こう問いかける遠野遥さんの小説が、僕は大好きです。

(※2024年4月15日にXに投稿したものを微修正のうえ転載)

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