2024年度の卒業論文の紹介

2025年3月20日木曜日

 今回は、普段の読書ノートとは趣向を変えて、2024年度に僕のゼミで提出された卒論の概要を紹介したいと思います。 以下は昨年の記述の再掲です。

 僕のゼミ(公共哲学ゼミ)の卒業論文は、各人が関心を持つ書籍を選び、その内容に基づきながら自らの考察を広げていくという「書評論文」の形式を取ることにしています。 

 一般に卒業論文というと、自らの関心のあるトピックを設定し、それについて広く検討を深めていくことになりますが、そのような取り組みには以下の二つの問題があると僕は考えています。(1)参照すべき文献が膨大にある現代では、テーマを決めたり掘り下げたりするためにかなりの時間がかかる。(2)卒業というタイムリミットを前にしてそのように膨大な資料を検討することは、しばしば自分にとって都合のよい議論をパッチワークするだけのものになりがちである。

 これら二つの問題は、書評論文という形式を取ることである程度まで解決されるのではないかと考えています。というのも、四年生は、自分の考えに合っているかどうかとは別に、まずは一人の論者の議論を丁寧に追うことを求められるとともに、時間的制約の中で自然と焦点を絞ることが可能になる、と期待できるからです。

  2024年度も以上の方針の下で指導を行い、4本の卒論が提出されました。以下、それぞれの論文の要旨と、論文の優れているポイントを記していきます。

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H. K.さん「ロックフェスは私たちに何をもたらすのか?:祝祭としてのロックフェスの本質的意義とその変遷」

  • 対象書籍:宮入恭平『ライブカルチャーの教科書:音楽から読み解く現代社会』青弓社, 2019.
 この論文は、宮入氏の書籍で扱われる多数のトピックの中でも特にロックフェスに焦点を当て、現代日本のロックフェスに人々が何を求めているのかを考察していくものです。これまで何度もロックフェスに足を運んでいる著者は、フェスが本来は政治的メッセージを強く持つイベントであったという歴史上の事実と、それが自分の参加したフェスにほとんど感じられなかったことに関心をもち、ロックフェスがどのように変化したのかを明らかにしようと試みます。
 著者はまず、現代のロックフェスの参加形態には、グループ参加で集団行動/グループ参加で適宜別行動/完全個人参加/自宅で配信視聴、という多様性があることを整理し、そのいずれの形態においても、思想性を求める姿勢は薄れていると見ます。その上で、現代のフェスはもはや個々人が別々の目的で参加する、個人化されたイベントとなっていること、そしてそれはフェスの大規模商業イベント化と表裏一体であることを、先行研究を踏まえつつ確認します。そして、この商業性を象徴的に示すものとして、アイドルのロックフェスへの参加を指摘します。しかし著者は、これらの変化がフェスを形骸化させ衰退化させるものであるとは考えません。そのような変化を踏まえつつ、各人がフェスという場を共有することにはやはり価値があり、変化を受け入れてこそむしろフェスは継続していくのだと結論づけます。

 現代社会における消費の個人化という観点からロックフェスを考えるという視点は、参照されている先行研究ですでに示されているもので、学術的に新たな議論を付け加えているところはないのですが、フェス参加をめぐる自身の経験を歴史的経緯を踏まえて精査し、そこから将来のあり方を見通そうとする姿勢は、卒論への取り組みとして非常に実直であり、評価に値するものだと思います。

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N. K.さん「少女小説におけるジェイン・エア・シンドロームの再検討:シンデレラはどこかへ行ったのか?」
  • 対象書籍:廣野由美子『シンデレラはどこへ行ったのか:少女小説と『ジェイン・エア』岩波新書, 2023.
 この論文は、廣野氏が論じる「ジェイン・エア・シンドローム」——すなわち、『ジェイン・エア』をはじまりとする、行動的で感情的な女性を主人公とした、脱シンデレラ的な少女小説の系譜——を、日本における児童文学の中に見出し、検討するものです。具体的には、児童文学の有名レーベルである「講談社青い鳥文庫」および「角川つばさ文庫」から、『若おかみは小学生!』『怪盗レッド』『作家になりたい!』の3シリーズを取り上げ、それらの作品の主人公がジェイン・エアの系譜につらなる要素を持っていることを丁寧に論じていきます。
 さらに著者はその先に、現代におけるジェイン・エア・シンドロームの物語が含みもつ問題点についても論じていきます。第一に、主体的に行動する女性に対して、男性が従属的にサポートする立場におかれるような物語の構造は、ジェンダーを反転させただけでジェンダー平等とは言えないのではないか。第二に、物語の中から「結婚・出産」というライフイベントが消失しているために、従属的な結婚の押し付けを回避することを超えて、ありうる幸せな結婚を論じることもできなくなっており、それゆえかえって女性の可能性を狭めているのではないか。これら二つの問題点をふまえて、男女に等しくかつ多様な形で可能性を開くような物語のあり方をこそ、模索していくべきだと著者は結論づけます。

 取り上げられている作品は3作品とやや少ないものの、それらを論理的に読み解くことにはかなりの程度まで成功しており、そしてなにより、廣野氏の問題設定を正面からしっかり引き受けて議論を展開している点で、書評論文として質の高いものになっていると思います。

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K. H.「狂気と創造性の関係から新たな芸術の可能性を探る:「健康としての狂気」の現代における事例の検討」

  • 対象書籍:松本卓也『創造と狂気の歴史:プラトンからドゥルーズまで』講談社選書メチエ, 2019.
 この論文は、松本氏が書籍の最終部分で提示する「健康としての狂気」という概念に注目し、これに基づいた新しい芸術の可能性を考えるものです。松本氏はこの本の中で、過去の歴史においては芸術に結びつくものとして統合失調症が特権化されてきたことを指摘した上で、それとは異なる芸術(=自閉症スペクトラム的な芸術)の可能性をドゥルーズの哲学に依拠しつつ「健康としての狂気」と呼ぶのですが、その具体的な内実については、いくつかの事例をもって示唆されるにとどまります。こうしてやや曖昧なままにとどまっている「健康としての狂気」という概念を、現代の事例を持って明確化することがこの論文の目的です。
 「健康としての狂気」について本稿は、松本氏の記述を参考にしながら、その主要な特徴を「無意味」と「遊び」の2要素に整理します。そして、ピコ太郎によるネット動画「PPAP」およびブルーノマーズ&ロゼの楽曲「APT.」に、現代における「健康としての狂気」の実例を見出します。というのも、この二例ともに、遊びの要素と結びついた無意味さが、新たな創造性を生み出しているとみられるからです。さらに著者はそこから歴史を過去に遡り、「無意味」と「遊び」の二要素はそもそも、絵画におけるシュルレアリスム運動において重視されていたことに注目します。著者はとりわけルネ・マグリットやマン・レイの作品を、「健康としての狂気」の萌芽であったとし、最後に、昨今の「PPAP」や「APT.」の流行は、現代のネット社会における新しいシュルレアリスムであると結論づけます。

 多様な議論の余地のあるシュルレアリスムを参照して、ドゥルーズの芸術論という難解な領域へ挑戦する意欲作であり、どうしても議論の飛躍は否めないものの、PPAPをはじめとする現代の「バズった」コンテンツを、論理的に解析した上で芸術史に位置付けることに一定程度成功しており、批評的にも学術的にもたいへん興味深いものになっていると思います。

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M. I.「女性オタクが二次元キャラクターに抱く恋愛感情は偽物なのか:夢女子の恋愛パターンの類型化とその「夢」の検討」
  • 対象書籍:戸谷洋志『恋愛の哲学』晶文社, 2024.
 この論文は、女性オタクによる二次元キャラクターに対する本気の恋、いわゆる「夢女子」の恋愛が、しばしば本当の恋愛ではないと批判されることに注目し、それが偽物に過ぎないのかどうかを、戸谷氏が整理する過去の哲学者の恋愛論を用いて考えていくものです。戸谷氏がプラトン、デカルト、ヘーゲル、キェルケゴールといった哲学者から引き出す恋愛論を的確に理解した上で、夢女子の恋愛はそれらの観点からどう見えるか、丁寧に検討していきます。
 本書の重要なポイントは、夢女子の恋を論理的に類型化していることです。まず夢女子が夢作品において二次元キャラクターに対峙する際、その位置付けには、自分自身のまま作品世界に参入する「投影型」の自己像と、作品世界にすでに存在するキャラクターを自己であるとみなす「憑依型」の自己像があるという区分を提示します。さらに二次元キャラクターとの関係についても、一対一の恋愛のみならず一対他の恋愛(いわゆる逆ハーレム)があることを考慮します。この2軸によって、夢女子の恋愛の内実が4パターンに区別され、とその多様性に明確な見通しが与えられます。著者は結論として、過去の哲学者たちの恋愛論に照らして考えるならば、少なくとも「自己投影型+一対一」の夢女子の恋愛は十分に真正の恋愛であるとみなすことができると述べます。

 夢女子の恋愛の真正性を検討するという試みは、一見したところ狭い関心にとじこもった分析に見えますが、実際には、当たり前の恋愛観を哲学的に再考することを促す戸谷氏の『恋愛の哲学』の趣旨を、正面から引き受けた上で自ら考えるものであり、まさしく哲学的な思考の実践であると言えるでしょう。

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 以上、計4本の卒業論文を紹介しました。今年は四年生それぞれ、自身が日常的に触れているテーマ(ロックフェス・児童文学・西洋絵画・サブカル二次創作)に取り組むこととなりました。おそらくそれゆえに、全員が高い熱量をもって執筆に取り組んでくれて、いずれも充実した卒論になったと思います。来年度もとても楽しみです。

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