【小説感想】佐藤厚志「鶺鴒」&「熊谷草」

2025年8月9日土曜日

小説感想

 佐藤厚志さんの2本の新作短編、「鶺鴒」(『すばる』7月号)と「熊谷草」(『新潮』8月号)を読みました。いずれも、短い中に作り込まれたストーリーがあるというより、人間の感情がぐっと圧縮された形でダイレクトに提示されるタイプの短編でした。以下、少し感想を書きたいと思います。

 まずは「鶺鴒」。〈戦争を書く〉という特集のなかの一本で、太平洋戦争下の仙台の人々を描く、直球の戦争小説です。これまでの佐藤作品と同様に、状況の悲惨さに対して登場人物たちがほとんど悲しみの感情を見せず、それゆえにいっそう深い悲哀が感じられるようになっています。
 たとえば空襲の翌朝、見ず知らずの子供を看取ったのちに、「塵と埃と汗にまみれて柳町の自宅に帰った」と書く。あえて「涙」を書かない。書かれなくとも流しているに違いない、と思えるし、あるいは涙はもう流れないのかもしれない、とも感じられる。引き算の妙義だと思います。

 つづいて『熊谷草』。こちらは寂れた田舎に暮らす高齢男性の話で、彼を取り巻く様々なものが失われていく様子が描かれます。猫がいなくなるところから始まり、お金がなくなり、健康が損なわれ、贔屓の食堂がなくなり、友人がいなくなり、亡くなる。そういったことが淡々と語れられます。
 そんな中でも鉢植えの熊谷草だけは変わらず蕾をつける…と言うと心温まる話になりそうですがもちろんそんな安易なことはなく(佐藤作品なので)、死ぬ間際になってもなお、子どものころに感じていた近所の池の「お化け鯉」への恐怖が変わらず存在している、という話で締め括られます。失われていくことが悲しいとか、変わらないでいることが尊いとか、加齢をめぐるそういった「テンプレ」をずらす、それも奇抜な表現も展開も用いずに、淡々とした筆致でずらして、年老いていくことそのものを丁寧に描写しようとしているところが、この短編の面白さだと感じました。

 この夏だけで佐藤厚志さんの新作を3本も読めたので、ファンとしてはとても満足です。次はしばらく先になりそうですが、楽しみに待ちたいと思います!

(※2025年8月9日にXに投稿したものを微修正のうえ転載)

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