【小説感想】佐藤厚志「ジャスティス・マン」

2025年7月18日金曜日

小説感想

 『文學界』8月号に掲載された佐藤厚志さんの新作「ジャスティス・マン」を読みました。自分が正しいと信じこみ、職場ではハラスメントを自覚せず、行きつけの書店で悪質なクレーマーとなっている中年男性の物語で、楽しめる要素はまるでないのですが、それでいて強く引き込まれる話でした。

 主人公の日々の振る舞いはひどく迷惑で忌々しく、とても受け入れられたものではないのですが、読者には少しずつ、彼のかかえる苦しみや悲しみ、行き詰まりが開示されます。それらは悪行を免責するほどではない、些細なものなのですが、それでも彼なりの理由があることが見えてきます。

 しかしそれを知るのは神の視点に立つ読者だけであり、作中の他の人々は主人公の背景を知りません。それゆえ彼は排斥され孤立していきます。当たり前のようにみんな彼が嫌いで、誰も彼に手を差し伸べません。その悲しみは誰の目にも触れず、ただ消えていくのです。その絶対的なむなしさ。

 とはいえ主人公だけが不遇なのではありません。物語の中で彼の妻が心を閉ざしてしまう(要介護のような状態になる)のですが、妻がそうなってしまった理由を主人公は理解することができません。苛立ちながらも我慢して向き合って、やっとその悲しみの切れ端をかすかに掴めるのみです。何が悪かったのか、何が妻を傷つけたのか主人公にはわからず、それゆえ何らの解決策も見出せずに、関係性は破綻していきます。

 主人公は誰にも理解されえず、そして主人公自身もまた妻を理解しえない。妻以外にも、周囲のあらゆる人のことを誤解し続ける。この世界では誰も彼も、他人を理解することが絶望的にできないまま迷惑をかけあっている。孤独ってこういうことだ、と思います。……こんなふうに振り返っても何が面白かったのか全然わからない、でも多分、死ぬまで忘れない作品です。

(※2025年7月18日にXに投稿したものを微修正のうえ転載)

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